建国記念の日(紀元節)と元旦(四方節) 2015.02.11
今日は「建国記念の日」、国民の祝日である。
ただし「建国記念日」とはなってはいない。
戦前は「紀元節」と呼ばれていて、 初代の天皇・神武天皇が即位した紀元前660年の2月11日が 日本の国の始まりとされていたことから「紀元節」になったらしい。
もちろん神武天皇は、 古事記とか日本書紀などに出てくるの神話の中での記述である。
戦後、ようやく GHQの影響下から離れて「建国記念日」を制定したいとの世論から 「建国記念の日」の制定を国会で決議するのだが、
社会党の反対などがあって、「記念日」の間に「の」を入れて、 曖昧な表現にすることで、社会党の理解も得られたらしい。
ところで。 私の父親は4月で88歳を迎えるが、 父が小・中学生の頃は、2月11日の紀元節には必ず学校に行き、 祝典に参列して、パンを一袋ずつもらって帰るのが当時の慣わしだったそうだ。
もっとも当時のパンは、現在の柔らかく弾力のあるパンとは別物で、 非常食の乾パンに近いものだったようだが、 それでも美味しく感じ、とても嬉しかったと父は話している。
そんな父の話を聞いている内に、 自分もかつて「元旦(四方節)」の午前中には登校し、 祝典があったことを思いだした。
たしか小学校4年生までは元旦に登校していたはずだ。
教室で担任の先生と新年の挨拶を交わしてから、 凍えそうになるくらい冷えた体育館に全校生徒が集まり、 それから校長先生の挨拶、そして雅楽「越天楽」を歌った。
その日は昼前には帰宅するのだが、 家に帰ってきてテレビのスイッチを入れても、 そこには琴の音の流れる中、 著名人たちが新年の挨拶をやっているだけで、 今のように娯楽番組は全く無かったから(娯楽番組は2日~)、 私は教育テレビにチャンネルを合わせて 「龍の子太郎」の人形劇を見ていた。
そう、毎年「龍の子太郎」の人形劇をやっていたと記憶している。
それが5年生になったときから、 なぜか元旦の祝典はやらなくなった。
やらなくなった理由は不明だが、 その頃が高度経済成長期のピークだったことと関係がある気がする。
車が一台も走らなかった元旦。 そんなことを思い出した今日は「建国記念の日」。