黄色い涙 2021.09.26
「黄色い涙」
あの日、杉並区阿佐ヶ谷駅に降りたのは実に30年ぶりだった。
1974年の年の瀬に放映されたNHK銀河テレビ小説「黄色い涙」。その舞台が、阿佐ヶ谷という街だった。
四人の夢多き若者が秋に出会い、阿佐ヶ谷の三畳間で共同生活を送り、一冬を過ごしたが、
夢を絶たれた三人は、春の訪れと共にアパートを去って行く・・・そんな青春群像だった。
そんな四人の生き方に強い衝撃を受けた私は、上京して阿佐ヶ谷の三畳間で一年間を過ごした。
夜、バイトの帰りに銭湯に寄ってからアパートに帰るのだが、
途中にあるラーメン屋「福娘」に立ち寄る事が唯一の楽しみだった。
あれから三十年を経過して「福娘」の大きな赤い提灯はすでに無くなっていたが、
独特の甘いもやしラーメンの香りに引き寄せられるようにして、少しだけ開いていた引き戸に手を伸ばした。
「あの、やってますか」。「はい、いらしゃい」と懐かしい声がした。
そこには愛想の良いおばさん、いつも苦虫を噛み潰したような顔をしていた無愛想なオヤジもいた。
もちろん私の事を覚えているはずもなく、
当時と同じく「もやしラーメン」と「チャーハン」を注文、三十年前のことを話してみた。
一番驚いたのは、あの無愛想だったオヤジが満面の笑みを浮かべて、
「良く来てくれたね、店を閉めなくてよかった」と言ったことである。
聞けば二人共に八十歳に近く、数年前から店をたたむ事を考えているという。
昔は十五分程度で平らげていたラーメンとチャーハンだが、三倍の時間を要した。
湯気で老夫婦の姿が霞んで、黄色い涙。